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第33話 九年前に、何があったの

last update publish date: 2026-10-02 22:12:46

「俺に同意を求めるな」

 燎の声は低かった。

 いつもなら、何を言われても人を食ったように笑う。

 けれど今は、口元に笑みがなかった。

 会場のざわめきが、また止まった。

 壇上の柊吾は、マイクを持ったまま笑った。

「自分以外が最善だと認めるのは、難しいか」

「勘違いするな。おまえが最善だったことはない」

 燎の言葉を気にした様子もなく、柊吾が壇上を降りる。

 記者たちが道を空けた。

 燎は私の腰から手を離さなかった。

 柊吾が近づくほど、その指に力がこもる。

 燎は私を柊吾に近づけたくないのだろう。

 だけど、私には彼に聞きたいことがあった。

 莉乃が柊吾へ送った合図。

 その直後に発表された、正臣の後任。

 偶然とは思えなかった。

「どうして、あなたが正臣の後任なの」

 私が聞くと、柊吾の足が止まった。

「それは、久条志津子に聞くべきだ」

「あなたは断らなかった」

「断る理由がないからね」

「父の会社を、何に使うつもり?」

「君が捨てた会社だろう」

 声が低くなった。

「捨ててない。奪われたの」

 柊吾の眉が、わずかに上がった。

「知りたい?」

「ええ。それに、あなたが莉乃と何を
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  • 夫がメイドを私の名前で抱いた――すべてを奪われた元・天才医療研究者は、冷徹社長に溺愛される   第58話 今でも、その男に会いたいか

    「誰のことだ」  夜のSENOVAの休養室で、燎は私の手を握ったまま聞き返した。 「その言い方。昔からって……」 「何がだ?」  燎の顔は、とぼけているようには見えなかった。私が何を言い出したのか、確かめるように見ている。 「九年前、研究者向けの匿名SNS、スコープで知り合った人がいるの。レイって名前を使っていたんだけど、顔も、本当の名前も知らなくて」  あの人にも、よく「ひとつだけ、仮説を聞いて」と頼んだ。ひとつのつもりが、話し始めると終わらなくなった。 「あなた、今、『昔から』って言ったでしょう。私たち、知り合ったばかりなのに。もしかして、レイなのかと思って」  説明すると、恥ずかしくなった。燎には思い当たる様子もない。私があの人を思い出していたから、期待しすぎたのかもしれない。 「……ごめんなさい。変なことを聞いたわ」 「その男が好きだったのか」  私は握られた手へ目を落とした。  今は燎に手を握っていてほしいのに、ほかの男の話をしてもいいのだろうか。でも、レイとの時間を何でもなかったことにはしたくなかった。 「会いたかったわ。顔も、本当の名前も知らなかったけど」  燎が私の手を少し引き寄せた。 「妬けるな」  顔を上げると、燎は笑っていなかった。  昔の相手まで気になるのだと思うと、少し嬉しかった。自分から聞いたくせに。 「どんな男だった。君が、会いたくなるほど」 「頭がよくて、自信家で。言い方に腹が立つことも多かったわ。……あなたに似てた」  燎の口元が緩んだ。 「褒めているのか」 「これから褒めるの」  何を話そう。最初に浮かんだのは、もう研究をやめようかと思っていた頃のことだった。 「学生の頃、やりたい研究があったの。でも、誰に話しても無理だって言われて。何度も言われるうちに、私にもできない気がしてきた」  どうしても作りたかった。それでも諦めた方がいいのかもしれないと、レイに話した。 「その人は、世界を変える研究になるって言ってくれたの」  あの返事が嬉しくて、何度も読み返した。自分でも諦めかけた研究を、レイは実現できると思ってくれたのだ。私が続きを作るのを楽しみにしてくれた。それなら、期待に応えたかった。 「だから、もう少し頑張ろうと思えた。うまくいかない日も、あの人にできたって言いたくて」

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